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山口鉄也

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やまぐちてつや・1983年神奈川県生まれ。小学校1年生から野球を始め、中学校3年生時に全日本少年軟式野球大会ベスト4進出。横浜商業高校卒業後、米国プロ野球チーム傘下の「ミズーラ・オスプレイ」とマイナー契約。帰国後の2005年、読売ジャイアンツの入団テストに合格し、育成選手として入団。07年に支配下選手(日本のプロ野球で、球団に所属することを公示された選手)として登録され、07年5月9日対阪神戦で初勝利を挙げる。08年、中継ぎとして67試合に登板し、育成選手出身者として初の新人王を受賞。その後もセットアッパー(中継ぎ投手)として活躍し、13年には日本記録となる6年連続60試合以上登板を達成。14年6月にはプロ野球史上初(14年9月現在)の200ホールド(中継ぎ投手を評価するための指標)を達成し、プロ野球実行委員会が個人記録をたたえる「連盟表彰」を受けている。

弱気を振り切るために練習に没頭。マウンドに上がるのはいつだって怖いです

大きな故障もなく6年連続で60試合以上に登板してきましたが、2014年2月の春季キャンプ中に左肩を痛めました。けがについては深刻なものではないと感じ、トレーナーもそう言ってくれたので少し安心していましたが、安静のために投げられない状況が数日続くと、不安を覚えました。肩の筋力が落ちて力が入らなくなり、練習を開始してからも自分が頭で描いている投球が全然できなくて。開幕まで時間はあったものの、すごく焦りました。

 

開幕までにけがは治りましたが、出遅れた分筋力や技術が追いついていなかったんでしょうね。自分ではいつも通り投げているものの、球にどこか違和感のある状態で開幕を迎えてしまいました。3月、4月は9試合に登板しましたが、4試合で失点。防御率(投手が1試合平均何点の自責点で抑えたかを示す率。値が小さいほど成績がよい)も10点台(2013年の防御率は3.24)と結果が全然出ず、投げるのが怖くなってしまって。一回やられて気持ちを立て直せないまま登板し、さらにやられて自信を失うという悪循環でした。

 

4月16日のヤクルト戦では打者4人に対して2安打1四球、1死球しか取れず、3失点。原辰徳監督も見かねたのでしょう。試合後に呼ばれ、「自信がなさそうに投げている。闘争心を持って投げろ」と叱咤(しった)激励されました。自分のチームの監督に「自信がなさそう」と見られている投手が、相手チームにダメージを与えられるはずがありません。それでは、投手としての役割を果たしているとは言えませんし、僕の調子が悪いときも使い続けてくれている監督やコーチの信頼に応えることもできない。打たれても、次のマウンドではネガティブな気持ちを持たないようにしようと心がけてから調子が上がり、5月からは、6月22日のソフトバンク戦で1点を失うまで無失点。チームとしては2年ぶりにセ・リーグとパ・リーグの交流戦で優勝もしました。

 

ただし、プロとして野球を続ける限り、それで「めでたし、めでたし」とはいきません。調子には波がつきものですが、いいときも悪いときも一球一球に集中し、一日でも長く投げ続けたい。今、僕が投げ続けられているのは故障が少ないということが大きいので、毎日ケアをしてくれているトレーナーにとても感謝しています。

 

あとはメンタルのコントロールが大事ですが、先程もお話ししたように、僕はもともと精神的にタフなタイプではありません。特に僕が任せてもらっているセットアッパーというポジションは、基本的にスターター(先発投手)が獲得した得点リードを引き継いで投げますから、大きな責任を感じます。「打たれたらどうしよう」と不安ですし、マウンドに上がるのはいつだって怖いです。その弱い気持ちを振り払うには、とにかく練習をするしかないと思っています。「これだけやったんだから、打たれるはずがない」と思えるまで練習に没頭してようやくマウンドに上がる自信が湧いてくるんです。

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理想を追いかけるのではなく、自分に合った場所を見つける

14年6月6日の西武戦で通算200ホールドを達成し、日本のプロ野球史上初ということで連盟表彰を頂きました。投手の通算成績に対する表彰はこれまで勝利(先発投手の場合、5回以上投げ、降板した時点で自チームがリードしていることが条件。中継ぎ投手の場合、同点または負けている場面で登板して登板中に決勝点が入ることが条件)やセーブ(自チームがリードした状態で登板し、リードを保ったまま試合終了すること)に対して行われていましたが、中継ぎ投手は試合の中盤で投げるため、勝利やセーブは獲得しにくいという状況がありました。

 

中継ぎ投手を評価する指標であるホールドに対して表彰が行われたのは、今回が初めて。僕の200ホールド達成をきっかけに新たに表彰項目に加えられたと聞いていますが、ホールドという指標が日本のプロ野球に導入されたのは1996年ですから、それ以前に200ホールドを達成した中継ぎ投手もいたのではないでしょうか。この表彰は僕自身というより、中継ぎ投手全体への評価の表れだと思っています。

 

僕が野球を始めた1980年代には、先発投手が試合終了まで投げるのが基本でした。ところが、最近のプロ野球は分業制が進み、スターターに続いて中継ぎ投手が投げ、クローザー(勝ち試合の最終回に投げる抑え投手)につなぐという試合運びが多くなってきました。中継ぎ投手も、基本的に勝ち試合で投げるセットアッパーのほかに、点を取られている状況でも試合を立て直す投手、大量点差がついたときに投げるロングリリーフと役割が分担されています。

 

たまたまそういう時代にセットアッパーとして投げることができ、目立たないポジションでありながら、チームへの貢献を認めていただけたのはすごくありがたいことだと思っています。もちろん、投手になったからには先発で投げたいという気持ちはあります。ただ、これまでにスターターやクローザーも経験したうえで思うのは、セットアッパーは「縁の下の力持ち」的ポジションで、目立つことが嫌いな僕の性格にすごく合っているということ。これは、いろいろなポジションを経験してみなければわからなかったことだと思います。

 

セットアッパーを目指してプロ野球の世界に入ったわけではないけれど、中継ぎ投手ならではの楽しみというのもあるんですよ。例えば、ワンアウト満塁で登板して抑えることができたら、試合の流れがガラリと変わる。その達成感はなんとも言えないです。

 

与えられたポジションにかかわらず、大切なのは、自分がそこで力を出せて、チームに貢献できるかどうかだと思います。仕事って自分の思い描いている通りにはならないことが多いと思うんですけど、どの仕事もやり続けていれば楽しい部分がありますし、やりがいも必ずある。だから、なんて言うんですかね。社会で力を発揮するには、理想の仕事を追いかけるのではなく、自分に合った場所を見つけることが大事なのではと思います。

 

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INFORMATION

高校卒業後単身渡米し、メジャーリーグ球団「ダイアモンドバックス」傘下の「ミズーラ・オスプレイ」で武者修行。帰国後、1軍ではプレイできない「育成選手」として読売ジャイアンツに入団し、セットアッパーとして頭角を現していくまでの山口さんを描いた著書『山口鉄也メッセージBOOK —鋼の心—』(廣済堂出版/税抜き1600円)。「練習嫌いで、つらいことがあればすぐに楽な方を選んでしまうような甘い考えの持ち主」だったという山口さんがなぜ変わったのか。「社会に出て自分に何ができるのかわからない」「何事も中途半端で、将来像が見えない」と悩む人たちにもヒントをくれる一冊。

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取材・文/泉彩子 撮影/刑部友康


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