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増田セバスチャン

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ますだせばすちゃん・1970年千葉県生まれ。演劇・現代美術の世界で活動した後、95年に表現の一環として「Sensational Kawaii」がコンセプトのショップ「6%DOKIDOKI」を原宿にオープン。
2009年より原宿文化を世界に発信するワールドツアー「Harajuku “Kawaii”Experience」を開催。
11年きゃりーぱみゅぱみゅ「PONPONPON」PV美術で世界的に注目され、13年には原宿のビル「CUTE CUBE」の屋上モニュメント『Colorful Rebellion -OCTOPUS-』製作、六本木ヒルズ「天空のクリスマス2013」でのクリスマスツリー『Melty go round TREE』製作を手がける。 14年に初の個展「Colorful Rebellion -Seventh Nightmare-」をニューヨークで開催。

「今やめたら、なかったことにされる」。それが悔しくて、続けてきた

通り魔事件や連続殺傷事件などを起こした青年のニュースを見ると、「一歩間違えると、僕だってこうなっていたかもしれない」と考えることがあります。10代から20代になるころって、誰しも自分では抑えきれない衝動に駆られる時期だと思うんですよね。もちろん、そのエネルギーのはけ口を間違って人をあやめるというのは決してあってはならないことです。ただ、何かをしなければという気持ちばかり募って何をしていいのかもわからず、世間に向かって叫び出したくなるような思いはわかる。僕自身がそうでしたから。

 

地元でなかなか荒れた生活をしていて、環境を捨てれば何かが変わると思って大阪の専門学校に進学しようとしたのに、入学願書も出さず、大阪の新しい環境になじめず、バイトにも行かなくなって引きこもるようになりました。やっていたことといえば夕方4時からテレビのお笑い番組を欠かさず見るくらい。力を持て余し、毎日夜中に自転車で近所をぐるぐると回っていました。

 

そんな生活が1年ほど続いたころ、図書館で寺山修司の『書を捨てよ、街へ出よう』という本に出合いました。寺山修司といえば、1960年代から70年代に活躍し、若者たちにカリスマ的な影響を与えた詩人、劇作家です。当時の僕には本の内容はよく理解できませんでしたが、刺激的な言葉の数々に突き動かされ、とにかく行動しなければと帰京。寺山修司関連の公演を見に行くうちにある劇団に出入りし始め、「表現をしたい」という思いが強くなって、劇場やクラブなどでパフォーミングアートをやるようになりました。

 

何トンもの生クリームでケーキを作って車で突っ込んだり、狂ったキャラクターたちが檻(おり)の中で踊ったり、今よりは規制の厳しくない時代だからこそできた過激なこともやりました。そこで表現したかったのは、子どもの悪戯(いたずら)心の純粋さやそこにある無邪気な残酷さ。大人になったら忘れてしまったり、「くだらない」のひと言で片づけてしまうようなものを、大人にも見えるように提示したかったんです。真剣にやっていましたが、評論家には「こんな幼稚なものがアートと呼ばれたら、日本はおしまいだ」とめちゃくちゃに言われました。20代前半の若僧でしたからね。反論する言葉も持っていなくて意欲を失い、アートの世界といったん距離を置くようになるんです。

 

だけど、表現することはやめたくない。小さなお店を開くことなら少し資金をためればできそうだし、自分の表現したものをお客さんが良くも悪くもダイレクトに評価してくれるからスッキリしている。ダメならつぶれるまでのことだから、取りあえずやってみようと原宿の裏通りにオープンしたのが、「Sensational Kawaii(センセーショナル カワイイ)」をコンセプトにしたお店「6%DOKIDOKI(ドキドキ)」でした。

 

当初は「お店を経営する」という感覚ではありませんでした。アメリカのスーパーマーケットで買い込んだカラフルな雑貨やおもちゃなど自分のアンテナに引っかかったものだけをお店に並べて、「これが俺たちの表現だ」と悦に入りましたが、お客さんは面白がってはくれても商品を買ってはくれず、借金がかさむばかり。苦肉の策で放送終了後に廃棄になった某テレビ番組のTシャツを山のように買い込んで年代順に並べて勝手に価値をつけて販売したところ、これが転機になりました。雑誌に取り上げてもらえるようになり、お客さんが増えていったんです。手ごたえを得て、お客さんにウケるものを考えることが楽しくなり、お店の売り上げも伸びていきました。

 

「裏原宿」一帯のブームもあって、「6%DOKIDOKI」は入場制限がかかるほどの人気になりました。90年代後半のことです。ところが、2000年代に入ると、シンプルなファッションが主流になり、「裏原宿」ブームも下火に。一緒に頑張っていたインディーズブランドは次々となくなっていきましたが、僕は意地でもやめないと決めていました。90年代はインターネットも今ほど普及していなくてブログもなく、当時やっていたことの記録って意外と残っていなかったんですね。僕たちは確実にいて、自分なりの表現ですごく苦しい思いをしながらやってきたけれど、今やめたら、そのすべてがなかったことにされる。それが悔しくて続けました。

 

全国に店舗展開して失敗したり、紆余(うよ)曲折を経て、「6%DOKIDOKI」が原宿の代表的なお店として注目されるようになったのは2000年代半ば。お店のコンセプトを表現すべくカラフルな衣装に身を包んだ販売スタッフを「ショップガール」として打ち出したところ、ファッション誌に次々と取り上げられ、彼女たちと舞台まで作るようになったんです。

 

自分のやりたいことを原宿の中である程度実現できるという状況ができると、これが原宿の外でどれだけ通用するのか挑戦したいという思いが強くなっていきました。「Myspace」などのSNSで自分のページを立ち上げたところ、海外から反響があり、2009年からは世界5都市でファッションショーを開催。ファッションショーといっても費用は持ち出しの自主興行でしたが、各国の「6%DOKIDOKI」ファンの子たちが場所を用意してくれ、都市によっては何千何万人規模の人が集まってくれました。

 

お店を通して表現してきたメッセージをもっと遠くまで飛ばしたい。そう考えていた時に、「6%DOKIDOKI」のお客さんだったきゃりーぱみゅぱみゅちゃんがデビューし、美術としてプロジェクトに参加することになりました。自分ひとりで頑張っても1000人集められればいいところだけど、SNSを使ったり、きゃりーちゃんの存在感や音楽があると、一気に何百万もの人にメッセージを届けることができる。これは面白いぞと感じて、アートディレクターとしていろいろなジャンルで仕事をするようになり、14年には映画『くるみ割り人形』で映画監督としてもデビューしました。

 

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失敗は怖い。でも、やらないと自分が生きるしかばねになってしまう気がする

映画『くるみ割り人形』は1979年に公開された実写人形アニメーションをリ・クリエイトしたもの。製作元のサンリオさんで当時のネガが劣化がほとんどない状態で見つかり、もう一度世の中に出したいということでお話を頂きました。当初は色をきれいにして3Dにして完成ということでしたが、この映画の世界観を表現するためには脚本の構成から練り直す必要があると提案しました。僕はアートディレクターなので、言われた通りのビジュアルを作ることは難しくありません。だけど、それよりも、映画の本質的なことを伝えることを第一にしなければと考えたんです。

 

外国で「Kawaii(カワイイ)」カルチャーと称される、僕が「6%DOKIDOKI」やきゃりーちゃんと表現してきたものにしても同じです。ブームになって世の中に広まると、ちょっとカラフルで派手だったり、奇抜だったりするだけで「Kawaii」カルチャーとしてひとくくりにされてしまうけれど、そうじゃない。日本はどんな服装をしていても「ああ、ヘンな格好しているな」で済まされるところがあるから、ピンとこないかもしれないけれど、ヨーロッパで原宿のカラフルな女の子のような服装をして地下鉄に乗ったら結構大変ですよ。「私は好きだから、これを着て表現している」という信念がないとできません。では、その信念がどこからきているかというと、人と同じ人生を押し付けられることへの抵抗です。人それぞれ生き方があって、みんなと同じにはなれないけれど幸せな人もいる。それを表現したのが「Kawaii」で、ただ甘くてカラフルなだけじゃない。だからこそ、世界中に広がっていったのだと思います。

 

いつも時代を変えるのは若い人のエネルギーで、それは大人が「これは何」と理解できないようなもの。僕自身、大人たちへの憤りや、理解してくれない人たちに自分を認めさせたいという思いがあってここまできました。最初の一歩は小さくても、そこに明確な意思があり、共感してくれる人が広がっていけば、時代を動かすような大きなパワーになる。僕はもう40代ですが、僕自身がいろいろな活動に挑戦することで、若い人たちの旗振り役になれたらいいなと思っています。

 

ニューヨークでの個展など海外でのアーティスト活動もその「挑戦」のひとつですが、成功しているかというと、まだ途中なので、未来はわかりません。ただ、挑戦することで自分にエネルギーが生まれていると感じます。わからないことは不安だし、失敗するのも怖い。でも、やらないと自分が生きるしかばねになってしまう気がするんです。

 

今の20代前半の人たちと話すと、みんなお利口ですよね。驚くほど綿密に人生設計を立てている。それもいいかもしれないけれど、その通りにいかないのが人生。だから、まずは何でもいいから飛び込んでみて、失敗も含めていろいろな経験をした方がいいと思います。みんなが思っているほど早く結果は出なくて、はっきり言って、たいていの人は20代では何も起こらない。30代でひとつ仕事を任されて、40代でやっとひとつ何かを成し遂げられる。そして、50代で自由になれる。まだ先は長いので、決めつけないこと、焦らないことが大事ですよ。

 

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INFORMATION

映画『くるみ割り人形』は2014年11月28日より全国ロードショー公開(http://kurumiwari-movie.com/)。1978年公開のオリジナル版の脚本を再構成し、最先端のCG技術とアナログを融合。音楽や登場人物の声も変え、まったく新しい世界を生み出した。実写作品に近いリアリティを出すために、声の出演には本職の声優ではなく、有村架純、松坂桃李、市村正親など映画界、演劇界のスターを起用している。

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取材・文/泉彩子 撮影/大星直輝


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