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黒井 健

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くろいけん・1947年、新潟県生まれ。新潟大学教育学部美術科卒業。学習研究社の幼児絵本の編集に携わり、73年にフリーのイラストレーターとなる。以後、絵本・童話のイラストの仕事を中心に活躍。83年、サンリオ美術賞受賞。主な絵本作品に『ごんぎつね』『手ぶくろを買いに』『猫の事務所』(いずれも偕成社)、「ころわん」シリーズ(ひさかたチャイルド)など。画集に『ミシシッピ』(偕成社)、『ハートランド』(サンリオ)などがある。2003年、山梨県清里に「黒井健絵本ハウス」を開設。NPOブックスタートの理事も務める。
黒井健絵本ハウス http://www.kenoffice.jp

『ごんぎつね』の絵は、それまでの自分の手法ではまったく描けなかった

『ごんぎつね』に出合ったのは、フリーのイラストレーターになって十数年たったころ。当時の私はイラストレーターとして崖っぷちに立っていました。絵本の絵は明るい色づかいで、かわいらしく描くものだと考えて、一生懸命描いていたのですが、どんなにたくさん描いても、本屋さんに並べてもらえない。1年に17〜18冊描いてもですよ。「何のために仕事をしているんだろう」「自分は絵本画家に向いていないんじゃないか」と悩み、半ば自暴自棄になっていました。

 

そんな時にある編集者から「これ、描いてみない?」と渡されたのが、新美南吉(にいみなんきち)さんの『ごんぎつね』でした。『ごんぎつね』はもちろん読んだことがあって、話をもらった時は、いつものようにかわいらしい絵をイメージしていたんです。ところが、もう一度よく読み返してみたらかわいらしい絵が合う感じがしなくて、これは今まで自分が考えていた「絵本」とは違うのではと思いました。構成もキャラクターづくりも何もかも、それまでの自分の手法ではまったく描けなかった。手も足も出ないんです。

 

それで、わらにもすがる思いで、南吉さんの故郷・愛知県半田市を訪ねたんです。絵本を描くために取材をするのは初めてでした。草花を描くならうちの近くにも咲いているし、動物も図鑑を見れば描ける。取材が必要だと感じたことがありませんでした。でも、『ごんぎつね』では、物語の背景の空気を吸ってみたいと思った。実際、行ってみると「こんな感じかな」という感覚がありましたが、描き始めてみると、何度も絵筆が止まりました。それまで描いてきた絵とトーンがあまりにも違ったからです。

 

そんなふうに本当にどうしたらいいのかわからなくて、それでも自分が感じたままに描いたのがあの本ですよ。「この絵でいいんだろうか。一緒にいていいのかな」と文章に問いかけながら、おずおずと。だから、描き上げたものを見た編集者から「おお、いいな」と言ってもらえて、救われる思いでしたね。おまけに、出版したら飛ぶように売れて。「絵本というのはこういうものという概念に縛られないで、自分が思う通りに描けばいいんだ」と太鼓判を押されたような気がしました。

 

『ごんぎつね』は色使いがきれいなわけではないし、かわいらしいきつねでもない。だから、67万部(2015年7月現在)も売れるなんて思いもしませんでしたよ。誰かは読んでくれると思ったけれど。たくさんの人に受け入れられるとは予想していなかったし、いかんせん崖っぷちのイラストレーターでしたから、読者に好かれようとも思いませんでした。望んでいたことはただひとつ。かわいい絵を描くのではなく、いとおしい心を描けるようになりたかった。かわいくする、かわいくしようとすることと存在がかわいいということはまるきり違うじゃないですか。かわいいふりをすることと、心根がかわいいこと、いとしさみたいなものは違う。そのままかわいいものを描くというよりも、いとおしい存在を描けるようになりたいと思ったし、今でも思っています。

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あきらめたら、それまで。壁を乗り越えるには、地団駄を踏んでもがくしかない

絵本の絵を描こうともともと考えていたわけではないんですよ。子どものころから工作が好きで、建物のミニチュアを作ったりしていて、高校時代は建築家になりたいと思っていました。ところが、大学受験がうまくいかず、一浪して地元の新潟大学教育学部美術科に進みました。先生になれる気持ちは最初からなく、当時新しい職業だったグラフィックデザイナーやイラストレーターに憧れましてね。卒業後は地元のデザイン会社に就職する予定だったのですが、なぜだか「東京へ行かなければ」という思いが消えなくて。仕事のあてもないまま上京して友人のアパートに転がり込みました。

 

デザイン会社の求人広告を見ては応募しましたが、採用してくれる会社はありませんでした。教育学部で美術についてはひと通り勉強したけれど、デザインやイラストについては何も知らないし、自分が何をやりたいのかも漠然としていましたから、無理もないですよね。仕方がないから、スナックや配達のアルバイトをして食いつなぎましたが、暗たんたる思いでした。もう、どうしようって。そんな時に絵本の編集者の募集を見つけ、「どうせ落ちるだろうけど、何かが見つかれば」と思って受けたら、採用してもらえたんです。

 

それまで絵本に興味はありませんでしたが、うれしかったです。生涯これで絵のそばで暮らせると思った。自分で絵は描けないけれども、自分の好きな世界で仕事ができるだけでありがたくて、絵本について必死で勉強しました。当時の私は自分の道を切り開かなければと学ぶことに飢えていましたからね。乾いた土が水を吸い込むようにいろいろなことを吸収し、仕事は面白かったです。でも、作家さんと接するうちに、自分も一日中絵を描いていたいという思いが強くなって会社を辞めました。編集者時代、ある作家さんが打ち合わせに遅れて来たのですが、悪びれもせず、「さっき、道に尺取り虫がいてね。きれいな緑色でさ、上手に歩くんだよ。あんまりきれいなんで見ていた」と言ったんですよ。どこかそういう姿に憧れて、こんなふうに生きられたらいいなと思ったんでしょうね。

 

退職後はファッションイラストレーターを目指し、公募展に出品したら立て続けに賞ももらったりして幸先がよかったのですが、どうしてか急に描けなくなってしまって。呆然(ぼうぜん)とする私を心配してくれたんでしょうね。ありがたいことに、会社員時代の先輩たちが「とにかく描きなよ」と仕事をくれて、週刊誌から医学書、幼児誌までその出版社のあらゆる部署の仕事をしました。そのうちに子ども向けの絵を依頼されることが多くなり、気がついたら、絵本画家になっていました。

 

自分でこっちだと思った道は行き止まりで、小さな光を見つけて「こっちだったら、やっていけるんじゃないか」と向かって行く。その繰り返しが今につながっていますが、壁にぶつかって新たな道を見つける時のエネルギーを勇気や決断と言ってしまうと、そんな大げさなものではなかったように思います。あえて言えば、なりゆきかな(笑)。だから、皆さんのお役に立てることが何も言えないのですが、壁を乗り越えるにはどうすればいいかというと、地団駄を踏むことですよ。もがいて、一生懸命やっていれば、誰かが助けてくれることもある。逆に、あきらめていたら、今に至らない。別な道があったかもしれませんが…。

 

フリーで絵を描くようになって40年余り。一日中絵を描いていられるというのは本当に幸せだと思います。だけど、この稼業においてすべて好きなことだけをやっているかと言うと、そうではありません。ひとつの仕事をやる理由は複数あります。大きく分けると、「やりたくてやる」「義理があるからやる」「お金になるからやる」の3つ。経済的基盤がないと、やりたいこともできません。理想だけでは生きられませんよね。だけど、自分の実現したいことへの思いも抱えている。だから、何とかして理想を説得力のある形にしたいと思いながら仕事をしています。

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INFORMATION

黒井さんが絵を手がけた最新作『戦争と平和のものがたり3 おはじきの木』(ポプラ社・税別1200円)。表題作「おはじきの木」(あまんきみこ著)、「ピアノとわたし」(長崎源之助著)、「野ばら」(小川未明著)ほか5編を収録。戦争の悲しさをつづった文章と、物語に寄り添うように描かれた黒井さんの繊細なタッチの絵が平和の大切さを伝えてくれる。

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取材・文/泉彩子 撮影/刑部友康


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