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【前編】哀川 翔

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あいかわしょう・1961年、徳島県生まれ。鹿児島県育ち。一世風靡セピアの一員として「前略、道の上より」でレコードデビュー。テレビドラマ『とんぼ』、映画『オルゴール』での新人らしからぬ存在感が認められ、俳優としても脚光を浴びる。映画デビューは88年の『この胸のときめきを』。90年、東映Vシネマ『ネオチンピラ・鉄砲玉ぴゅ~』が大ヒット。以後、多数の作品に出演し、『とられてたまるか』『ろくでなし』『極楽とんぼ』などのヒットシリーズを生み出す。2004年には100本目の主演映画『ゼブラーマン』で「日本アカデミー賞優秀主演男優賞」を受賞。16年11月現在、出演作は250本を超える。07年、08年には舞台『座頭市』で座長を務め、15年にはラサール石井演出『HEADS UP!』で主演としてミュージカルにも初出演するなど近年は舞台でも活躍。16年のNHK大河ドラマ『真田丸』では後藤又兵衛役を演じている。
哀川翔オフィシャルサイト http://showaikawa.com/

もともとは大学に行って、体育教師になるつもりだった

-学生時代から芸能界に興味があったんですか?

全然(笑)。そもそも、「歌手になりたい」「俳優になりたい」とか何かに「なりたい」と思ってなったことが、俺にはないんです。高校時代は体操部の部活に明け暮れて、卒業後は日体大(日本体育大学)に行って体育教師になるつもりだったんですよ。先生からも「この調子で体育や部活を頑張れば、推薦書を書いてやる」って言われていて。ところが、願書を自分で取るということを教えてもらっていなくて、気づいた時にはすでに遅し。推薦の話が立ち消えになってね。おふくろからは地元で就職するよう強く言われたんだけど、どうしても東京に行ってみたくて、「音楽や映像の編集を学べる専門学校に入りたい」とおふくろを説得して上京してきたんです。学校に行くのは口実みたいなもので、学ぶ内容は何でもよかったんだけど、行くからには時間を無駄にはしたくないから、授業は結構熱心に受けました。

 

当時、学校に行きながら出版社でアルバイトをしていて、「一世風靡」に入ったのは、知人がこれから立ち上げるという路上パフォーマンス集団をライターとして取材をしたのがきっかけ。同世代が多くて意気投合して、遊びで一緒に寸劇をやったり、踊ったりしていたんです。そのうちに全国から人が見に来るようになって、レコード会社から「レコードを出さないか?」という話がありましてね。「歌いたい」と手を挙げた人たちだけで「一世風靡」の歌セクションを作ったわけ。それが「一世風靡セピア」。だから、歌手として芸能界に入ったのはなりゆきなんですよ。

 

空いている場所を選んで、自由にやる。だから、争わずして無敵(笑)

-俳優さんとして注目されるようになったのは長渕剛さん主演のテレビドラマ『とんぼ』(1988年)。「一世風靡セピア」解散の1年前ですね。

たまたま長渕さんのライブを観に行った時に楽屋に呼ばれ、いきなり「ドラマをやらないか?」と誘われて。その前に演技の仕事は少しだけやったことがあったけど、セリフを覚えるのも好きじゃないし、最初は断ろうとしたんです。でも、強引に口説かれて出たのが『とんぼ』。ヤクザの子分役でね。この役のイメージが強かったのか、東映Vシネマ(レンタル市場での流通を主とする作品)『ネオ チンピラ 鉄砲玉ぴゅ〜』(90年)の主演にと監督の高橋伴明さんから声をかけてもらって。この作品が当たったんです。ビデオも売れたし、レンタルでもたくさん借りられて、リリースして3カ月で200万人くらい見てくれたんじゃないかな。それでVシネマにどんどん出るようになって、気づいたら主演作が100本超えていました。

 

-現在では“Vシネマの帝王”と呼ばれています。

帝王かどうかはわからないけど(笑)。ただ、Vシネマというジャンルが定着したことは、心に感じるものがあります。Vシネマは今でこそ映画館で上映することもあるけど、当初はスクリーンにはかからない映画として生まれたんですよ。一般的には映画よりランクが下に見られていたかもしれないけれど、制作現場には映画やテレビより表現の規制のない場所で「新しいものを作ろう」という熱気があった。だから、作品も売れたんです。

 

俺がVシネマに出始めたころ、周りはみんな「何それ? そんな作品に出ていて大丈夫なの?」って感じでしたよ。でも、だからこそ俺は「勝ち目はある」と思っていました。Vシネマはヤクザやチンピラの世界を描いた作品がメインだから、観るのは「昔、不良」「今、不良」、そして「不良に憧れを持つ人」でしょう? その数が日本にどのくらいいるか考えたら、2000万人はいるだろうと。まあ、なんとなくですけどね。それだけのお客さんが見込める市場なのに、誰も注目していなくて競争相手はあまりいない。自分が自由にやらかせるスキがあると考えたんです。いつだってそうなんだけど、俺、競争が好きじゃないから、空いている方へ、空いている方へと行くの。で、そこでのびのびやる。だから、争わずして「無敵」なんです(笑)。

 

 

求められたことに全力で応えていたら、いつの間にか「仕事」になった

-演技をするときに大切にしていることは?

監督やスタッフとコミュニケーションを取って役の設定を理解し、その役をきちんと作り上げたいというのはありますけど、演技について「俺がこうしたい」というのはないですよ。基本的に監督の言う通り動く。もちろん意見は出しますが、誰よりもその作品のことを考えているのは監督ですから。たとえ自分の意見が通らなくても、いい作品ができればそれで問題ない。振り返ってみると、俺は「歌手として歌う」「役者として演技する」というよりニーズに応えようとしてきただけ。それがいつの間にか「仕事」になった。だからさ、よく「やりたい仕事がわからない」と悩む人がいるけど、俺に言わせれば、そんなのわからなくていいんですよ。とにかく相手が求めていることに応えるようにすればいい。仕事というのはそれがすべてだし、そうすることによって人は世に出る。「出世」というのは、そういうことですよね。

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キャンプや虫など趣味も多彩な哀川さん。後編では「遊び」と「仕事」の関係についてうかがいます。

→次回へ続く

(後編 11月9日更新予定)

INFORMATION

2015年に芸能生活30周年を迎えた哀川翔さん。その節目に「仕事」「遊び」「男と女」などのテーマについて「哀川流」の考えを語った『ブレずに生きれば道は拓ける! 一翔両断!!』(角川書店/1500円+税)。「限界までやるのも大事だが、余白も大事」「我流が一番の近道」といった名言の数々にハッとさせられる。映画監督・高橋伴明さん、YOUさん、中野秀夫さん、勝俣州和さんなどゆかりの人物からのスペシャルメッセージも収録。

 

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取材・文/泉 彩子 撮影/Shin Ishikawa(Sketch)


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