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渡辺 潤

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わたなべじゅん・1968年12月10日東京都生まれ。高校卒業後、漫画家・ハロルド作石氏などのアシスタントを務めたのち、89年第103回月間新人漫画賞に入選。作品が『ヤングマガジン増刊』に掲載され、デビュー。90年より14年間連載したヤクザ漫画『代紋TAKE2』(原作・木内一雅 全62巻)が単行本累計2400万部を突破。現在は「三億円事件」を題材にした『三億円事件奇譚 モンタージュ』を『ヤングマガジン』にて執筆中。同作は読者ランキング常時TOP5の人気で、フジテレビでドラマ化も決定している。

情報は集めすぎても不安が膨らむだけ。やりたいことがあるなら、突き進んで

「三億円事件」のことは以前から「いつかは描きたい」と思っていました。僕は事件が起きた当日に生まれていますから、ガキのころからよく話題に出る題材ではあったんです。だけど、最初は強い思いがあったわけではないんですよ。昭和史に残る未解決事件だけに、下手に手を出すと各方面から批判されて痛い目に遭うかもしれない…という怖さもありましたしね。

 

最終的に『三億円事件奇譚 モンタージュ』を描くことになったのは、勢いのようなものが大きかったと思います。前の作品の連載が終わったころに、編集者さんとの雑談で次の連載について聞かれて、「三億円事件とかも考えているんです」と軽く話したら、思いがけず反応が良くて。ただ、昔の事件ですから、今の若い人にとって面白いかどうかが少し引っかかっていました。そこで、当時中学3年生だった娘に話してみたら、即答で「面白そう」という答えが返ってきたので、「これはイケるかも」とそのままノリで描き始めたんです。

 

幸い読者の反響が大きく、連載4年目の今もたくさんの方が読んでくれていますが、最初は不安だらけでしたよ。連載が当たるかどうかはギャンブルみたいなところがありますし、オリジナル作品の連載としてはまだ2作品目で、正直なところ、読者に読んでもらえるものを毎週書き続けられるかどうか自信はなかったです。「やってみてダメなら、仕方ない」と思っていました。

 

あれこれ考える前にやってみるというのが僕の性分ですが、これは時代の影響もあると思います。娘たちを見ていると、今の若い人たちは情報過多ですよね。スマートフォンで検索すれば簡単に情報が集まる。便利だけど、調べるだけでは不安ばかり大きくなって、動けなくなってしまうということもあるんじゃないかな。

 

僕が10代だったころはインターネットもなくて、漫画家になるためのノウハウも小学生向けの書籍を読んで知る程度。だから、どんどん突き進んで、失敗して、じゃあ次はどうするかというのを繰り返して道を切り開くしかなかった。もしあのときに「編集者から何度もダメ出しされた」というようなネガティブな情報がたくさん入ってきたら、怖くてチャレンジできなかったかもしれません。情報は持っている方がいいけれど、集め過ぎても不安が膨らむだけ。やりたいことがあるなら、まずはやってみて、問題が出てきたら調べる…というくらいがちょうどいいと思います。

 

「就職難だから」「お金にならないから」と理由をつけて夢をあきらめる人も多いけれど、本当にやりたいことなら、多少苦しいことがあってもあきらめないものですよ。僕は小学生のころから「漫画家になりたい」と決めていましたが、アシスタント時代はプロの厳しさを知り、「漫画家には絶対なれない」と絶望を感じたこともあります。1カ月に2日ほどしか休みがなく、ほとんど家に帰らず完徹して描いた絵を「こんなの絵じゃない」と突き返されるなんてこともザラでしたから。そもそも最初は絵も描かせてもらえなくて、先生の奥さんのお手伝いをするのがメインの仕事。「渡辺くん、キュウリ買ってきて」なんて。

 

煮詰まって、最初にアシスタントについた先生のところは1年もしないうちに逃げ出してしまいました。でも、「漫画を描きたい」という思いは消えなかったし、少し気持ちが落ち着くと、プロの現場を経験したことで自分の絵が以前より格段にうまくなっていることに気づいて。「ひとりっきりで部屋にこもっていては得られないものが、仕事の現場にはある」ともう一度チャレンジすることにしたんです。その後はハロルド作石先生をはじめいろいろな先生のところでアシスタントをしながら自分の作品を描き続け、21歳のときに新人賞を受賞。憧れの雑誌だった『ヤングマガジン』に作品が掲載され、仕事をいただけるようになりました。

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長く描き続けるためには、変化を楽しめた方がいい

デビュー後も、「逃げたい」と思うことはしょっちゅうですよ。特に原作者とタッグを組んで『代紋TAKE2』を描いていたころはめちゃくちゃ苦しみました。自分の意思で「やりたい」と思って始めた連載ですし、今でも描いてよかったと思える作品ですから、独身で身軽なころはそれこそノリノリで描いていたんです。ところが、家族を養わなければいけない年代になると、責任を感じすぎて目の前の仕事がつらくなってしまった。自分の家族だけならまだしも、原作者の方にも家族がいて、生活がかかっている。そう考えると、すべての責任を自分が背負い込んでしまったような気がして、机に向かうと吐いてしまうような時期もありました。

 

本当に苦しくて、何とか仕事から逃れようと腕を折ろうとしたこともあるし、精神科に入院した方がいいんじゃないかと考えたりもしました。でも、そこまではできない自分がいて。連載終了後、「もう描きたくない」と一年休みましたが、気がつくと次の作品を描き始めている(笑)。結局、僕は漫画を描きたいし、将来も漫画を描くしかないと悟り、そこからは少し肩の力が抜けたような気がします。

 

今でも、どちらかというと逃げることばかり考えていますよ。「ああ、寝たい」とか「仕事したくない」とか、そんなことばかり(笑)。多分、みんなそうなんじゃないですか。やりたい仕事をやっているから「俺、いつも最高に楽しいっす」というのはあり得ないと思う。どんな仕事でもやっている最中は苦しいですよ。理想と現実の間で葛藤(かっとう)することもある。その中でどうすれば一番いいものを生み出せるのか、その折り合いを悩み続けていくのが、仕事をするということだと思います。

 

漫画って、偉そうにしていない感じが僕は好きなんですよ。漫画は絵画などの芸術と比較されることもあるけれど、僕はまったく別物だと思っています。ゴッホだったり、ピカソだったり、芸術というのは見る側が解釈しようと歩み寄るところがありますよね。でも、漫画の場合は、読者に「つまらない」と思われたら、もう読んでもらえない。受け手の反応が本音に近いので、たたかれてヘコむこともありますが、そのぶん読んでもらえたときの喜びは大きいです。

 

漫画というのは「面白くてなんぼ」だと思います。連載を始めるときには最終話までの筋をざっくり決めますが、何を面白いと感じるかは時代によっても変わりますから、最初に決めたままを描くということはないですね。打ち合わせをしていて面白いアイデアが出てきたら、何をおいても描いて、後で筋を合わせるのに頭を悩ますこともあります。でも、仕方ないですよね。面白いものは、描かないわけにいかないですから。時代や読者の反応を踏まえて変化していくことを楽しめるところがないと、長く描き続けるのはつらいかもしれません。

 

デビュー25周年を迎えますが、漫画家というのはいくら経験があっても、次の仕事があるとは限りません。すごい新人さんたちも次々と出てくるし、読まれるものを描き続けないと、すぐに切られてしまう存在です。それでは困るけれど、いい加減に生きていたら、切られても文句は言えないですよね。だから、仕事はいつも全力でやらないと。年で体力も落ちているし、若いとき以上に仕事に時間を費やさないととても追いつかないですけど、自分で決めてやっていることなので、今は漫画を描くことが気持ちいいです。

 

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INFORMATION

『ヤングマガジン』で大人気連載中のサスペンス漫画『三億円事件奇譚 モンタージュ』は、1968年12月10日に起きた未解決事件「三億円事件」を題材にしたフィクション。10歳にして犯人の息子だと知らされた主人公・大和を中心に、事件に巻き込まれた現代の若者たちを描く。単行本最新刊第15巻(講談社/税抜き552円)も好評発売中。

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取材・文/泉彩子 撮影/大星直輝


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