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長井鞠子

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ながいまりこ・1943年宮城県生まれ。会議通訳者。国際基督教大学卒業。67年、日本初の同時通訳エージェントとして創業間もないサイマル・インターナショナルの通訳者となる。以降、日本における会議通訳者の草分け的存在として、先進国首脳会議をはじめとする数々の国際会議やシンポジウムの同時通訳を担当。2020年東京オリンピック招致の通訳も務めた。政治・経済のみならず、文化、芸能、スポーツ、科学ほか、あらゆる分野の通訳を担当。著書に『伝える極意』(集英社新書)がある。

サイマル・インターナショナルホームページ:http://www.simul.co.jp

人と人をつなげられた。そう実感した瞬間、仕事への意識が変わった

通訳らしき仕事をしたのは、国際基督教大学(ICU)2年生の時に開催された東京オリンピック(1964年)でのアルバイトが最初です。英語を話せる人が今とは比べものにならないほど少ない時代で、通訳が足りず、困った五輪組織委員会が都内の各大学からアルバイトを募ったのです。私は帰国子女のような英語力はありませんでしたが、高校3年生の時に約1年アメリカに留学した経験がありました。大学でも国際関係論を学んでいたので英語には興味があり、応募したところ、運良く採用されたというわけです。

 

競技が始まるときに選手紹介のアナウンスを英語でするのがおもな仕事で、私は女子競泳を担当しましたが、名前や国籍、タイムを読み上げる程度の単純業務。今思えば「通訳」と言うにはおこがましいものでした。それでも、アルバイト料は非常に高く、例えば、当時の飲食店でのアルバイトに比べると、4倍くらいは頂いたのではないでしょうか。かっこいいユニフォームも一式支給されて、いいことずくめ。「簡単で、お給料も高い。世の中にはこんなに良い仕事があるんだな」なんて思いました。当時は自分がプロの通訳者になるとは想像もしませんでしたし、通訳の仕事についても何も知りませんでしたから、のんきなものでしたね(笑)。

 

大学卒業後は仕事をして、自活しなければという意識はありましたが、50年も前の話です。一般企業で女性ができる仕事は限られていましたし、「会社勤め」には何となく抵抗があって…。大学では同時通訳のコースも取っていましたが、通訳が職業として確立されていない時代でしたから、将来の仕事の選択肢としては考えませんでした。何をすればいいのかわからないまま大学4年になり、大学院で国際関係論の勉強を続けようと決めたのですが、父から「就職しないなら、東京大学の大学院以外は許さない」と言われて受けた東大大学院は不合格。途方に暮れていたときにICUの教授に声をかけていただき、助手として大学に残ることになりました。

 

通訳エージェント「サイマル・インターナショナル」を設立したばかりだった村松増美、小松達也といったメンバーに「通訳者にならないか」と誘われたのはその直後です。私の大学時代は学生集会が盛んで、特に政治への関心が強かったわけではないのですが、外国人の参加者のために同時通訳を頼まれることがよくあり、彼らはその姿を見ていたようです。

 

大学に残ることにしたものの、助手のお給料だけではとても生活できないので、副業で通訳をして生活費に充てようと考え、二つ返事で誘いを受けました。そのうちに「副業」のはずだった通訳の仕事がどんどん増え、いつの間にか本業になってしまったというわけです。当時はプロの通訳者が少なかったこともあって報酬はとても良く、大卒男子の初任給が平均2万4000円ほどだった時代に、月に4万円を下回ることのない額を頂いていました。

 

最初から狙ってなった職業ではありませんが、英語や言葉という好きなことを仕事にできて、お給料も文句なし。通訳というのは私にとって、いわゆる「オイシイ仕事」でした。でも、ただオイシイだけでは、半世紀近くもこの仕事を続けてこられなかったと思います。

 

通訳と言うと、単に誰かが言った言葉を変換して他者に伝えるだけと思われがちです。現に私自身も駆け出しのころはそう考えていましたが、今は違います。通訳の仕事は、話し手の発言を聞き手の心に届けること。そのために通訳者が身につけるべき技術はたくさんありますが、前提となるのは「話し手の言葉を伝えたい」という意欲です。

 

私が初めて通訳の仕事の意味に気づいたのは、プロの通訳者となって2年がたったころ。工学関係の会議通訳を依頼されて現場に入ると、こぢんまりしたワークショップのような集まりでした。日本側のスピーカーは「老教授」といった風情の年配の方で、アメリカ側は新進気鋭といった感じの若い方。言語も世代もギャップのあるふたりでしたが、いざ会議が始まると丁々発止(ちょうちょうはっし)のやりとりとなりました。その熱気を間近で感じながら、はたと「このふたりは、私がいなければ意思疎通できない。私が通訳をすることで、人と人がつながっているんだ」と感じたのです。

 

通訳の仕事の重みを感じ、これまで以上にきちんと取り組まなければと身が引き締まる思いでした。それと同時に、通訳というものが人の役に立つんだという実感が、その後仕事を続けていくうえでの大きな励みになりました。結婚後、夫の海外赴任に伴って仕事ができない時期があったり、子育てと仕事の両立、離婚の苦しみとこれまでにはさまざまなことがありましたが、通訳者として生きてこられたのは、「もっと役に立ちたい」「もっと深く伝えたい」という情熱に支えられていたからだと思います。

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仕事を評価するのは他者。「見どころがある」と思われることが大事

海外の国家首脳、日本の総理大臣をはじめ、ダライラマ14世、マイケル・サンデルからデビッド・ベッカムまでさまざまな方の通訳を務めてきましたが、どなたも第一線で活躍している人物ばかり。時代の先端を走って仕事をする感覚を味わう機会を頂けているのは、本当に幸せなことだと思っています。

 

私が通訳者になったころに比べ、今は通訳者の数も増えて競争が激化しています。駆け出しのころの私よりも高い英語力を身につけた人でも、仕事のチャンスを得られるとは限りません。競争相手が少なかったために、未熟でも場数を踏んで成長していけたという点で、私はとても恵まれていました。ですから、とても皆さんに大きなことは言えないのですが、競合だらけの場所に飛び込むよりも、競合のいない場所を自分たちで切り開いた方が力を発揮しやすいということはあると思います。

 

通訳者の人口は増えましたが、会議通訳者として活躍しているのはごくわずかの人たちです。よく人から「どうすれば、通訳者として生き残れますか」と聞かれ、そのたびにいい答えはないかと探すのですが、「頭角を現す」という言葉以上にしっくりとくる表現が思い浮かびません。仕事を評価するのは他者ですから、「あいつは見どころがあるな」と認められることがまず大事です。

 

頭角を現す方法は人それぞれですが、大切な要素は好奇心とチャレンジ精神。私が「サイマル・インターナショナル」に誘われたのは、学生集会で同時通訳のボランティアをしていたことがきっかけでしたが、もともと学生集会での通訳を頼まれたのは、大学内の勉強会にちょくちょく顔を出し、集会の主宰者に「あいつは英語ができるな」と覚えられていたからです。また、当時の私に同時通訳の経験などありませんでしたから、「通訳なんてできませんよ」と言いつつ見よう見まねでやりましたが、あの時かたくなに断っていたら、今はありませんでした。

 

これから社会に出る学生さんたちにお伝えしたいのは、「悟らないでもらいたい」ということです。高度成長期に若い時代を過ごし、新しいものを自分たちで作り上げるんだという期待にあふれていた私たちと異なり、景気低迷が続く時代を生きる若い人たちが、人生や仕事に対して諦観(ていかん)に似た気持ちを持つのは無理もないことかもしれません。でも、人間として生まれたからには、自分の何かで誰かの役に立ちたい、自分の存在に何か意味があるんじゃないかと考えるものです。仕事を通してその答えを見つけることを、あきらめないでほしいのです。

 

「聞いた通りを訳す」というのが私の基本的な姿勢ですが、通訳というのは音楽の演奏と同じだと思っています。話し手の言葉を訳す前には、「聞く」「理解する」「分析する」というステップがありますが、それは例えば、ベートーベンの書いたものを咀嚼(そしゃく)し、「私のベートーベンはこれだ」という演奏をすることに似ています。演奏に正解がないように、通訳にも正解はありません。仕事を終えるたびに「もっと深く伝えられなかったか」「本当に役に立てたのか」と自問自答します。正解のないものに向き合うのは楽なことではありませんが、「こんなものだろう」「もう十分」と悟ったり、あきらめたりしたら終わり。言葉を伝え、人と人をつなぐために自分に何ができるかをこれからも探し続けていきたいと思っています。

 

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INFORMATION

相手の国籍や言語にかかわらず、単に発言するだけでなく、しっかりと「伝える」ためには何が必要なのか。通訳者として第一線で活躍してきた長井さんならではの「心を伝える極意」を語った『伝える極意』(集英社新書/税抜き680円)。世界中の著名人との仕事のエピソードや、長井さんが通訳者になるまでの経緯もつづられている。

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取材・文/泉彩子 撮影/刑部友康


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